7/27・SSRIで副作用・病院に匙を投げられる
今の状態をいつまで続ける事が出来るのか。必死になって現在に対応しようとしている。金が無く好きなものは食べられないけど、満足出来るものが良い、金がないのに美味しいものを食べようとしている。栄養のあるなしよりも、美味しめで安くて吐きやすいものが良い。
7/4、フルボキサミンマレイン錠を一粒だけ飲んで布団に入り、三時間半後、動悸がして起き上がった。頭を中心に全身のダルさ、考える事ができず、とにかく落ち着こうとしても錯乱状態で、救急車を呼びたかった。
深夜に一人で焦った。これ以上パニックにならないようにと必死で落ち着こうとした。
トイレに行ったら下痢が出た。部屋中をウロウロ歩き回って、冷房をつけたり消したり、窓を開けて扇風機をつけたり、鏡の前に座って、自分がものすごい汗をかいている事に気づいた。怖いくらいの滝のような汗、今まで生きてきてここまで汗をかいたことはない。水をかぶったほどの汗が顔から流れていた。
ネットで症状をググって、セロトニン症候群だと思う。症状がピッタリそのまま。一部の人はSSRIで発症する副作用らしい、分かりやすい程に症状が合っていたので他に考えられない。
それ以降、薬を飲むのが怖くて飲んでいない。
7/24、ついに主治医から匙を投げられた。
処方されたSSRIでセロトニン症候群になり、もう薬は飲みたくないと言うと、階下の別の病院を薦められ、紹介状を書いてもらった。
2011から今の病院にかかっていた。過食嘔吐は全く良くなる見込みは無い。ここは心療内科だからか、
薬で体を治す事を主軸に置いている。
でも本当に薬で治せるのかと、不審に思っては通院を止め、1〜2年後にまた喉から血が出たり過呼吸になったりして限界にまで苦しんでから駆け込む、という事を繰り返した。
薬で極度の死に向かう考えを、軽度にまでかき消す事は出来た。
でも本当にそれで良いのかと、最近はずっと感じていた。
薬を飲むと頭がボーっとして全身は重くてダルく、何も考えられなくなる。死にたいも生きたいも無くなる。それは正しいのか。
もっと底辺にあるものを確認しなければならないのではないか。原因の確かな事は分からないし、今更それを消せないんだ、それでも確認して認めなければならないんじゃないか。
その認める為の考え方が欲しい。今の状態は正しくない。欲しいものは知れている、その術が欲しい。
私は何かを認められていない。何についてなのか、それを認めて自分のものにするためには何が必要なのかが全く分からない。
主治医からは「長い間、この病院に通っているけど、症状は良くならない。この病院でできる事はこのくらいまで。階下の精神科に行ってみてはどうか。そこの医師が後輩だから紹介状を書いてあげる」と言われた。ついに匙を投げたなと、面白かった。
歴16年の摂食障害者を相手にしたくないだろうな。
よく「鬱で布団から起き上がれない」という人がいるが、私もその状態になったが、それは鬱そのもののせいなのか。鬱自体ではなく、薬の副作用で頭も体も膜がかかって動けなくなっているんじゃないのか。風呂に入るのも無理なのは薬のせいじゃないのか。
自分が欲しているものは薬ではないと思う。多分、感覚でそう思う。一時だけでは駄目だ、もう誤魔化せないし、それでは生きられない。感じ方、考え方、私の人格の部分で何らかの変化がなければならない。そうでないとここから抜けられない。
でも本当に抜けたいんだろうか。働かないで雇用保険で生活していて、ここからまた働くのか。
過食嘔吐もしなければならない。食べたいものはたくさん目につくし、太って醜くなりたくないから。
自分が何をしたいのかあまり分からない。
ただ楽になりたい。